Diary 浅見帆帆子の日々

November 2009

Vol.2

NPO法人School Aid Japan(以下SAJ) の活動で、カンボジアに行ってきました。

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数年前から、アジア平和をイメージした寄付や支援先をどこにしたらいいのか、
日本?海外?どの団体を通して?……と考えていたところに、
SAJとご縁ができ、「この団体がいい!」と私のアンテナが即座に反応したのです。

 はじめて訪れるカンボジアは、想像以上の貧しさにあふれていて驚きました。
舗装されているのは車の通る道だけ、それも中心地から少し外れれすぐに土の道。
首都プノンペンにはコンクリートの建物もありますが、一本路地裏をのぞけば小屋が並んでいます。

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あの空きボトルにはなにが入っているんだろう(汗)
ガソリンかな……。

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野犬もたくさん。
今回、狂犬病やマラリア予防など、
言われるままにたくさん予防接種をしていきました。

  小型バスに揺られて小学校の授業と給食の様子を見学しに行った。SAJが初期の頃に建てた学校で、プノンぺンから
1時間弱。幼稚園から中学生くらいまでの子供たちがたくさんいた。みんな、ジッとこっちを見ている。そろそろと近づいて行くと
だんだんこっちにやってきて、あっという間にまわりを取り囲まれた。この人なつっこさ、みんなすごくかわいい。

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 洋服は、上は白のシャツ、下は青いスカートやズボンなので遠目には統一されているように見えるけど、実際は砂と埃のため
に白いブラウスはベージュ色だし、肌も汚れて黒ずんでいる。それでもまだここに通えている子供たちは、親からわずかの
お小遣いをもらい、校庭の隅にある露店でお菓子や飲み物を買っていた。

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みんなが写っている
デジカメの写真を見せたら
興味津津^^
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ガランとした図書室
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給食風景を見学。WFPに交渉して給食を供給してもらうようになった。
ご飯を食べられるとなると、子供たちも学校に来る。 

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お庭で丸くなって
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ご飯とスープのようなおかず一品。
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最後の一滴まで、あっという間になくなる
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お水は、カメのたまり水の上澄みをすくう
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「宝物♪」と、今日のお小遣いを大事に見せてくれた
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2009-11-22.jpg 子供たちが
窓からあふれてた
2009-11-23.jpg 小学生の子供たちに
「きれい」と言われ……
うれしくなって
写真を撮った(笑)

 先生たちからも、お話をうかがいました。
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 カンボジアでの「教師」というのは、地位はあったとしても、国から支給されるお給料はとても少ないらしい。
子供たちも、学校を卒業してからの就職口がないために、結局は家庭の手伝いに戻る子がたくさんいる。「家庭の手伝い」
と言うと聞こえはいいけれど、要は、やることもなく貧しい生活を繰り返していくことになる。
 まずは学校を建て、その後にこの子供たちが働いていける場所を用意しないと意味がなくなってしまう。
 働いて、お金を稼いで、「こうしたい、こうなりたい」という希望を持つようになってはじめて、生活を豊かにしようとか、国の政治
や体制を変えよう、という人たちが生まれてくる。

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先生たちが寝起きをしている小屋

 カンボジアは、1970年からの内戦後、1975年から始まったポルポト政権下での大虐殺のために、知識人や富裕層など、
政権にたてつく力のある男性たちはことごとく殺された。女性や子供なども合わせて、200万人以上が殺されたとも言われ
ている。そのときに、国内のインフラ設備、家や建物のほとんどが崩壊。
 プノンペンには、大量虐殺の行われた「キリングフィールド」や、拷問が行われた刑務所など、悲惨な歴史を知ることができ
る場所がたくさんある。

 ポルポトは、ほとんどなんの裁きも受けずに死んだけれど、こういう人が世の中に生まれてくる意味はなんだろう。
 ヒトラーと同じように、恐らくポルポトもはじめから悪者だったわけはないはず。それなりに大義をもち、諸外国のことを
勉強し、良い意味で世界に大きな影響を与えることができるエネルギーを持っていたはず・・・・・・でも一度その歯車が
狂い始めると、エネルギーが大きいだけに、大量虐殺という方向に傾いてしまったのだろう。
 民族の違う他国との戦いではなく、同じ国民同士での争いというのは、その傷も深く、残されたトラウマもはかり知れない。

 今のカンボジア政府の役人は腐敗しきっているらしく、このままの態勢では発展にも時間がかかり、限度があるという。
 たとえば、まだ「税制」がほとんどないらしい。法人税、所得税、相続税はもちろんナシ。事業税のようなものはあるという
けれど、守っている人はほとんどいないと言う。罰せられる法律もなく、払ったらその場で役人の懐に入ってしまう。
 「領収書」という概念もなく、「契約」成り立たせることも大変そうだ。医療保険もないので、日本では信じられないほど
軽い怪我や病気で命を落とすことになる。車の免許なども、つい数年前にできたらしい……ため息が出る。

 学校近くの生徒のひとりの家にお邪魔した。
家というか、小屋。
ものすごく粗末な小屋。

2009-11-24.jpg 屋根はあるけど壁はない。
地面は土。
汚れきった敷物。
空っぽのお鍋には
ハエや虫がわいている。 
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6人の子供を抱える
お母さん。
私と同い年(驚)
お父さんは仕事。
働いてくれる人がいるだけ
まだ良い方かもしれない

 飲み水のあるカメの中には、にごりきった水がたまっていた、ぼうふらの宝庫。隣の家からのぞいている子供たちは、
みんな青っぱなをたらして、こっちをジッとみている。もちろん裸足。近づくと、すえた臭いがする。

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 なんの足しにもならない、とわかっていても、なにかあげだかったので、バッグの中に残っていたお菓子をあげる。

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これ、飛行機でもらった
お菓子の残り……
この状態の人たちに、
こんなものをあげて、
それを写真に撮られて……
なんだか本当にむなしく、
なんとも言えなかった。
なにかやらなくちゃ!
と思う瞬間。

 プノンペンに戻り、ポルポト政権時代の刑務所へ行った。入口には、ハンセン病で顔がくずれている物乞いがいた。
 観光客目当てで、よく見かける同じ人らしいけれど、見慣れていないので恐ろしく、大急ぎで門の中に駆け込む。
 刑務所内には、拷問されていた人たちの写真があり、当時のベッドがそのまま残っていると聞いていたので、
私は建物には入らず中庭で待っていた。2万人が殺されたという「Killing Field」でも、中には入らず。
 こういう場所には、当時の「念」や悲しみのエネルギーが残っていると思う。一度そこに共鳴すると、私の場合は後々まで
深~く残ってしまうので見ないようにしている。見なくても、すでに充分にメッセージは伝わっているから。この場所にバスが
着いたとき、足元から突然ものすごい鳥肌が立った。眠りかけていたのが、その鳥肌で目が覚め……その瞬間、ここはやめ
ようと思ったのだ。

 もちろん、プノンペンには外国資本のホテルもある。私たちが泊まったホテルは「ラッフルズホテル」。あのラッフルズ系列
のホテルがカンボジアにあるなんて・・・・・・そうか、フランス領だったからかね。
 中学生のときにシンガポールのラッフルズホテルに泊まったときから、コロニアル調のホテルがすごく好きにだったので、
とてもうれしかった。程よい大きさの落ち着いたラウンジも、居室棟へ続く中庭の回廊も、床のタイルのモザイク模様や、
調度品のアンティークも、とてもよかった。壁ひとつへだてた外とのギャップに・・・・・またため息。

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カンボジアの内務省の方や、
日本のカンボジア大使たちと食事 
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 最後の日に、待ちに待った孤児院へ。SAJが、満を持して作った孤児院「夢追う子供たちの家」。
 玄関の両サイドに子供たちが列をつくり、「こんにちは」で迎えてくれた。

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子供たちが伝統舞踊を披露
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高学年は日本語の朗読
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みんなでお片づけ
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折り紙
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将来の夢には医者と教師が多い。
それ以外の憧れの職業を見たことがないからだそう。
 
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壁と鉄条網に守られた園の向こうは荒れ地

 みんな、無条件にたまらなくかわいかった。どの子供たちも、病気や貧しさのために親を亡くしていたり、ごみ山で働いていたり、
知人や寺院をたらいまわしにされるなどの悲しい過去を背負っている。毎日の食べ物と清潔に眠れるベッドがあるなんて、外の世界から
見たらここは天国。そのためか、みんなとてもよく勉強するらしい。
 園に中央には舞台。まわりを囲むように、いくつかの教室と食堂。裏には男女別の宿泊棟や畑もあった。
 半年ごとにやって来る里親にかじりついて離れない子や、抱っこされたままずっと顔をうめている子供たち、みんな愛情に飢えている。
 私のところにも子供たちが寄ってきたので抱っこ。「抱っこして」と言える勇気のない大人しい子は、じっと見上げて後をついくる。

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  自由時間になってお菓子の包みを開いたら、子供たちがすごい勢いで寄ってきた。ひとつ食べると、すぐにお替わりを
もらいにくる子供、後ろのほうで静かに順番を待つ子供など、性格がいろいろ出る。
  SAJ理事長の渡邉さんは、みんなの健康状態、勉強の様子、今足りないもの、子供たちの将来の夢について、
ひとりひとりの話を丁寧に聞いていた。ここで教育を受け、仕事につき、最後はカンボジアの国の再建のために貢献できる
人材を育てることが目的だ。
 

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 ボール遊びや折り紙をしながら、この子供たちのためになにかをしようという気持ちになった。
 お別れのとき、子供たちはバスのそばからなかなか離れようとしなかった。 

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2009年11月 浅見帆帆子

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