11月14日(日)
ローマのホテル「ハスラー・ヴィラ・メディチ」に着きました。
やっぱりローマは都会だなあ。
ここは友人のお母様が勧めてくださったホテル。メディチ家のローマでの住居。
スペイン広場の上にあるのでとっても便利。
内装は、メディチ家の重厚さをそのまま引き継いでいる感じ。天井のモールディングも、壁の装飾も絵画も、
すべてがしつこいくらいに「メディチ家」「ヨーロッパ」らしい内装なんだけど、まわりの風景になじんで違和感がない。
こういうところを見慣れると、日本の自宅の家に、円柱の一本でもつけたくなる気持ち、わかるよね、とママさんと話す。
ここで朝食を食べる。 |
毎日このインテリアといのは・・・・・・飽きる。 |
←スペイン広場の上の建物が |
スペイン広場は座る隙間もないような混雑っぷりだった。でも、ここでも日本人はほとんどいない。
「あなた、そこに座ってて。ママが下から写真撮ってあげるから」
と、勇ましくひとりで階段を降りて行ったママさんだったけど、案の定、私がどこにいたか見つけられない様子。
「ここ~」と、大きく手を振った。
帆「わかった?」
マ「ん?(笑) ああ、あの辺りかなっていうところをまとめて撮っておいたから大丈夫」 だって。
焼き栗を食べながら、ヴォーナ広場まで歩いた。
この旅行では、毎日本当によく歩いている。毎日、少しずつ痩せている。
これ、何かから逃げているみたい(笑) |
11月15日(月)
今日は、ヴァチカンへ行く。ヴァチカンは、はじめて。
ヴァチカン市国の入り口であるサンピエトロ広場に立つと、目の前の建物に圧倒される。
カトリックの総本山・・・・・・歴史と、神と人間と、尊いものからドロドロのものまでいろ~んなものが複雑に絡みあった
なかに「荘厳さ」がスパイスされた雰囲気。なんていうか・・・・・・もう、なんとも言えない。
旅行の最後がヴァチカンで本当によかった、はじめに見ちゃったら、どうしてもほかの教会と比べてしまうだろう。
ヴァチカン美術館へ。
見る物が多すぎる(笑)。有名なもの(たとえばシスティーナ礼拝堂の「アダムの創造」や「最後の審判」など)以外にも
素晴らしいものがたっくさんあって、またまた「もうなんとも言えない」という気持ちになる。
これじゃあ、日本人とものの考え方が違って当然だな、というような歴史の違い
ヴァチカンを見たら、もう他のヨーロッパの国はしばらくいいや……という気分になる。ここに全部集約されているから。
個人的に好きだったイルカみたいな置物 |
美術品としては本当に素晴らしいけれど、これからの時代は「神様VS人間」という図式で、「悪いことをすると神様に罰せられる」
という教えには、限界があるような気がする。
続けて、サンピエトロ大聖堂。入るまでに長蛇の列だった。
もうすぐ入り口というあたりで、もうひとつ別の入り口が開き、そこをめがけて中国人たちがすごいスピードで
突っ込んでいった。それを見た、後ろにいたイタリア人ファミリーが、
「あれは絶対、日本人よ。日本人はすぐ急ぐの」
なんて言ってるから、
「あれは中国人です」
とクルッと振り向いて言っておいた。
「あ、でも昔の日本人はそうだったかもしれません」
と付け加えておく。
サンピエトロ大聖堂には、ミケランジェロのピエタ像がある。
ガラスの覆いの向こうにあり、たくさんの観光客が写真を撮っていた。
十字架にかけられたイエスを 抱くマリア 「ピエタ」って、 誰が製作したものでも なんとなくもの哀しくなる。 |
正面右では、聖歌隊が練習をしていた。
バチカン市国を上から。
ぐるっと見渡すだけの広さ。
11月16日(火)
雨が降っている。予約していた美術館が面倒になってきた。宗教絵画、そろそろお腹いっぱいだからね。
午前中はホテルでゆっくり過ごし、午後、マジェスティックホテルに移る。
タクシーの運転手さんが、私たちのトランクを見て空港に行くのかと思っていたらしく、数ブロック先のホテルの
名前を言ったら嫌な顔をされた。
ローマのマジェスティックはかなりモダンに改装されていた。
ここには、ローマで一番古いエレベーターがある。
廊下は広く、白壁で、左右にモノクロの写真や絵が大小いろいろにたくさんかかっている。
そこにドカンと置いてるゆったりした」ソファー。天井のライトも赤いランプシェードをひっくりかえしたような形。
部屋も、全体的に、どことなくモダン。
窓からはすっかり秋の景色だった。高揚した黄色い葉っぱの街路樹。ローマの街並み。
乗り出すと、下にはカフェ、隣の部屋にはポーチにティータイムの支度がされている。
トレヴィの泉へ。折り重なるようにして連なっている白い像が、水を反射してテラテラしている。
ここは好きだな。一応、他の人と一緒に後ろ向きでコインを投げた。
浮浪者やジプシーが泉の中にあるコインを拾わないように |
そのあと、ローマの街を散歩した。
思いつくままにお買い物しながら。靴を中心にコートやスーツの洋服類。
ヨーロッパに来ると必ず買ってしまう革のグローブは、グレー、パープル、オフホワイト、オレンジ、ピンク を買った。
これ、サイドテーブルのように |
11月17日(水)
今日は遺跡巡り。コロッセオに行く。
人間と猛獣を戦わせた格闘場。地下には、猛獣が入っていたという牢屋とか、猛獣をステージまで運んでいた
エレベーターなどがあった。部屋が細かく分かれているのを恐る恐る見下ろす。
こういうのが残っているなんて、すごいなあ。
ぐるりには円形の観覧席。ここで、人と猛獣の戦い、どちらかが死ぬまで戦うのを見物するって……、すごいことだ。
そういう獰猛な時代を経て、人間は少しずつ進化してきたんだよね。
ここで闘っていた前世を持つ人は、現代では・・・・・・格闘家とかになっていそう。
正面には、大きな十字架が建てられていた。そこだけ、新しかった。
コロッセオのまわりには、当時のナイトの格好をした人が、観光客と一緒に写真を撮っていた。
手招きされて一緒に撮ったらお金を要求された。10ユーロだというから、
「事前に言うべきでしょ!?」
と怒ったら、
「ごめんごめん、じゃあ1ユーロ」
と急にしおらしく言うので、ママさんと二人分で2ユーロ払った。
こういうとき、日本と外国の違いが出る。外国では、こういうような半分「ずるい商売」をしていることを、
現地の人やガイドさんたちも黙認しているところがある。
見て見ぬふりではなく、「彼らもそれでご飯を食べている、それも仕事」という感覚だからだ。
あとは、日本人って怒ったときにそれを表現しないから、はめられやすいよね。その国の言葉を話せなくても、
日本語で怒れば通じるのに、妙に「いい人」になっちゃう。それで、後で文句を言ったりする。
私の場合は、怒ったときのほうが英語をまくしたてられるので、問題ナシ。
そうそう、フィレンツェの「Savoyホテル」でも、はじめに通された部屋の景色が悪かったので、
取り替えてもらったのだけど、はじめ、日本で手配してくれた旅行代理店に電話したら、
ホテル側に、「備品の調子が悪いから部屋を取り替えてほしい」とか言ったらしく、
「なんの調子が悪いんですか?」と フロントの人に聞かれてしまったので、
「どこも故障していない、部屋自体は快適。ただ景色が悪いので、このままだとせっかくのフィレンツェの思い出が
半減してしまう……」
とそのまま言ったら、ニッコリ笑って、
「ああ、景色ね、それはよくない、すぐに取り替えます」
となり、最上階の広場に面したテラス付きの部屋に移してくれた。
こういうのって、素直に普通に言えばいえば伝わるのに・・・・・・、と思ったもんだ。
多分、日本人には「景色が悪いという理由で部屋を変えるのは無理、わがまま」という感覚があるんだろうな。
だから、相手の非(備品の故障など)を理由に部屋を変えさせるという発想なのよね。
でも外国人にとっては、旅の質や気持ちが最優先。景色が悪いというのは部屋を変えるもっともな理由になる。
今回のイタリア旅行を通して、私はますます
「この世で自分(その人)がすることというのは、すべて前世で縁があったことなんだな。
前世でし残したこと、縁があったことを自然とするようになるんだな」
と思うようになった。
だって、突然どうしてイタリアに行こうと思ったか、
(ヨーロッパで行ったことのない国はたくさんあるのに、どうしてまたイタリアへ?)
でもこれも、ママさんが前世イタリアにいたことを思い出すためだったと今ならわかる。
どうやら祖父もイタリア系だったことがわかったし(笑)。
そして、なんでそういうことを思い出す必要があったかというと、
母の完成が刺激されたことで、これから母とやろうと思っている新しい仕事へのエネルギーを盛り上げるためだった。
つまり、次のステージに必要なこと。
親と長期で旅行するのはなかなかできないので、本当によかった。
2010年11月